2009年05月22日

議員と世襲

総選挙を控えて国会議員の世襲問題が取り沙汰されています。
目的は、世襲議員を排除することで地盤(組織)・カバン(資金)・看板(知名度)を持たない優秀な人が、立候補し易い状況を生み出すことにあるようです。

しかし、視点を変えて見ると
世襲議員の制限は、有権者をバカにしている制度とも言えなくもありません。
有権者の見識が無いから能力も無い世襲候補を議員に選んでしまう、と言っているようにも思えなくもありません。

それは兎も角として、自民党や民主党が考えている世襲候補を制限するマニフェストで、世襲でない有能な人が議員になれる様になるのでしょうか…

単に、世襲候補を鞍替え立候補さたところで、襷掛け選挙も可能ですし、地盤が多少薄らぐ程度であり、社会を大きく変える制度には成り得ない様な気がします。
言い換えるなら、
本気で議員改革などしようとはしていないのが、透けて見えます。

一方では、国民に平等に与えられている選挙権と被選挙権との違法性のについても考えなければなりませ。

議員改革を本気且つロジカルに考えるのであるなら、
地盤を作り、選挙カーに乗り回ることで、多額の資金を要する。
あげく環境が叫ばれてる時代であるにも関わらず二酸化炭素まで撒き散らす選挙手法そのものを見直す必要があると感じます。


例えば、路上での選挙活動や立会い演説会、ポスター作りに葉書の送付等など、立候補者個々の選挙活動の総て禁止。
替わりに、選挙管理委員会の催す合同立会い演説会、選挙公報紙やインターネットによる候補者マニフェストの提示など、
選挙活動の総てを選挙管理委員会が取り仕切り管理する。
当然、これまで当り前とされていた選挙ツールである後援会や選挙責任者、選挙事務所、演説カーなどの総てが不要となる。
そして候補者は、供託金のみ用意するだけで、立候補可能な選挙制度にする。


この制度により、立候補者の文字化されたマニフェストがより重みを増すこととなり、これまでの情緒的な選挙から政策が優先される選挙となるものと考えます。



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2008年11月03日

管理職改め住民サービス推進職

最近、役所に於いて人事評価制度なるものが導入されている。
目的は、自己目標設定による行政事務の推進となっている。
しかし、所轄部署や内容からみて職員管理が目的であるように思えてならない。

行政だけでなくあらゆる組織に於いて本気で職員や社員の人事管理が出来る思っているのだろうか?
答えは“NO”である。
職員や社員を四六時中管理など出来るわけが無い事は誰でも分かっている筈である。
そのそも、人が人を管理しようなどと考えることこそ、大きな過ちである。
言い換えるなら、管理しなければならない職員や社員を就労させた時点でミスっているとは思わないのか…


行政に於けるすべての事務目的は、如何にして住民サービスに寄与できるかの一点に帰結している。
住民の誰一人として、職員を管理してくれなどとは求めていないのであることを、首長を始め部課長などの管理職は認識しているであろうか…ひらめき

この人事評価制度を始めとして、庁内会議や打合せ等すべての目的は、如何に住民サービスに寄与できるか否かにあることを、今一度考える必要がある。

その意味からいって、職員管理のみならず管理との視点は、住民サービスにもっとも遠いところに位置していると心得ておくべきであり、管理事務は最小限に留めることである。むかっ(怒り)

そもそも管理職などと言う区分事態を用いていることこそが、行政改革が程遠いことを伺わせる。ふらふら
せめて管理職は住民サービス推進職とでも改めたらどうか…モバQ
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2008年11月02日

オバマ候補と日本首長候補

アメリカの大統領選挙も間近いに迫ってきた。
日本メディアも米国大統領選挙を取り上げる機会が多くなっている。
その中で、
民主党のオバマ候補は暗殺されることもあり得るとの覚悟で出馬しているというニュースが流れていた。
彼の政策主張は兎も角、
その心構えには感服せざるを得ない。手(グー)

翻るに、
日本に於ける総理大臣を始めとした地方自治体の県知事や市町村長の選挙に出馬する候補者の覚悟はどうであろうか…
最近では、長崎市長選挙で現職市長が殺害された事件があったが、その際の後任候補者は「ひょっとして私も…」との思いは脳裏をかすめたかも知れないが、通常の場合には暗殺などとは考えも及ばぬ事であるに違いない。

暗殺の起こる社会や状況を肯定するわけではないが、公の組織の長を志す者は、暗殺が起こっても“やるんだ”との覚悟は欲しいものであるが、
昨今の首長の政策等を見ていると、その覚悟などは必要無いと一括できる。パンチ

今の立候補者とそれを支持する組織等を考えると、改革などは遥か彼方と言い切れる。ふらふら
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2008年10月08日

政治の結果は有権者の所為

10月6日のたけしのTVタックでゲスト出演していた宮崎県の東知事が、「政治の結果は有権者の所為」としたり顔で発言していた。
所謂、国民の民度を超える政治は生まれ無い。との類似発言である。

しかし、実際にそうであろうか?
最近流行のマニフェストなるもので政治の全てが語られているかと言えば、そうとも言い難い。
よしんば語られていたとしても、国民全てがその内容を理解出来てるのだろうか…

最終的に主権在民である我が国で起こった政治結果は、国民が背負うことになる。
このことは紛れも無い事実である。
だから国民も当時の小泉政治の様に劇場型に流されることなく、投票することが求められる。

かと言って、
東知事の発言の「政治の結果は有権者の所為」と決め付けるのは余りにも乱暴であり、無責任な発言である。
この言葉は、国民自らが自覚・発言する言葉であって、これを政治家が自ら口にすることこそが、現在の政治を悪くしている大きな要因と考える。


主権在民によって選ばれた政治家は、選ばれた時点で国民から政治を付託された訳であり、政治の主体となったのであるから、政治の結果は政治家が取るべきである。

政治家と言う政治の主体が、全てを主権在民におっ被せるような発言をすることを許してしまう国民の民度こそが問われている。


(注)それにしても時折メディアからこぼれ聞こえてくる東知事の発言は、民主主義を逆手にとったテロリストのように感じる。
あの笑顔の奥にある思想は、いささか怖い。
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2008年09月27日

資源の無いニッポン

経済資源とは、
水や空気(大気)、土地(土壌)や木(森林)、
動植物(人間は労働力と定義)に化石燃料や鉱物資源などの
地球資源のことである。

そう考えるといくら敗戦国であったとしても

資源超大国の米国追随型の膨張思考型の経済手法は、
日本の実態は合ってはいない。

グロバール化されているからといって、
化石燃料や鉱物資源、
それに
食料までも海外依存しているのは、
戦国時代の兵糧攻めに例を見るべくもなく、
日本は死に体状況であることは間違い。


これが自民党政治の総括と言っていい。
にも関わらず麻生政権は、
膨張型の経済手法を模索していることに、
時代感覚の無さを感じる。(マンガ読んでるのに…)


日本が他国と肩を並べられる経済資源は、
海洋国であることの水と
世界人口約2%を占める人間(労働力)である。

特に人間に関しては
他の資源と違い伝えるシステムさえ構築されていれば枯渇しない。

20世紀を化石燃料と鉱物資源の経済と位置づけ、
結果として環境問題を引き起こしてしまったことを考えると、
日本の経済資源である人間と海洋国(水)の活用こそが、
環境問題に対応した持続可能な21世紀型の経済の
最も良い立位置いる経済先進国と言えなくも無い。

どんな時代にあっても

国家は人材育成を最優先課題として取組む必要がある。
その部分でも自民党政治は、世界に遅れをとりつつあるのではないか…
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2008年09月23日

既得権を切ることがスタートラインに立つこと

自民党総裁選挙も終わり、
麻生さんが第23代目の総裁に決まった。
当然、衆議院で第92代目の総理大臣に指名され麻生内閣誕生となる。
そして、時期を見て早々に解散。
これがメディア情報からの社会の認識となっている。
それは大したことではない。

問題はこれからの政治である。

自民党の体たらくは追って知るべしであって
これからも期待は出来ない。
これは
結果であり、事実なのである。

一方の民主党の不甲斐なさも目立つ。
しかし、それはメディア情報等の
想像の世界であり、
実際に政権政党になったことの無い民主党に対する実際の評価は、
不明である。

だったら、民主党に一度は政権を担わせることが、
新たな一歩を踏み出すことになる。

前から言っているが、

改革とは既得権を立ち切り新たな流れを生み出すことである。
しかし、結果の良し悪しは分からない。
ただ言えることは、改革はそこからでしか始まらないと言うことだけは認識しておく必要がある。


私は、自民党・民主党のどちらかを応援している訳ではない。
現状の日本社会を眺めた時、

自民党政権が追い求めた膨張思考の経済と
それに付随した土建国家体質のロジックは、
環境問題の発生と共に
完全に崩れた
という事実を真摯に受止めることで、
それに変わる新たな社会のロジックが必要と痛感したに過ぎない。
そのためには、先ずは既得権を切ることが先決であると考えている。

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2008年09月20日

管理職公募制

国・地方で行政改革が叫ばれて久しい。
そして、行政改革の基本は人事制度改革ありきであると言える。
理由は、
制度を作るのもその制度を運用するのも“人”だからである。

先のブログで現状の人事異動の問題点は『縦の異動が無い』ことに尽きる書いた。
実はもう一つ問題がある。

異動のための根拠も不明瞭であると言える。
だから、論功人事なる訳のわからぬ異動がしばしば行われるのである。
これも行政の仕事が数値化しづらいことに起因しているようである。

ならば、
実績評価の前提を作りそれに基づき事務を進め、その結果を評価すれば十分に実績評価も可能と考えられる。
仮にこの制度を『事務事業推進計画』とでもしておく。

因みに、最近、人事評価制度なるものを導入している自治体が多いものこの考え方に類似しているものと考えられるが、関連性は無い。(ここではこれ以上人事評価制度には触れない。)
私の考え方は、縦の異動の公募制にこの事務事業推進計画を組合わせることで、異動の決定と異動後の事務の実績評価を行なうのものである。

この制度の導入は、管理職以上の職務に従事する職員を対象に行なう。
管理職を希望する人間は、事務事業推進計画を作成し、人事部局に提案する。
その内容は、
3年間を一区切りにして、希望する職務に於ける問題点、可決策、それに伴う必要人員、必要経費、実行プログラム等を一つの行政施策に纏めて計画提案する。
提案を審議するのは、首長(市長、町長など)直轄のブレーンとし、計画やそれに伴うヒヤリングで異動が決定される。
以降、この計画の進捗状況等を評価し異動が決められて行くことになる。

当然、計画目的が達成されたとしても一度は課長職を離れ一般職員として何年か働き、その後に公募制度により新たに課長職や部長職に挑戦すれ良いのである。
一方、計画達成が出来ない管理職は3年経たない内に一般職への異動となる。
この管理職の人も一度失敗したからといって、二度目のチャンスが無いわけではない。
再度、公募制度に挑戦すれば良いのである。

この制度のポイントは、人事異動の実績評価だけだ無い。
この制度が有機的に機能することで、
人事部局と財政部局、企画部局の庁内権限が限り無く削除されることにある。
言い方を変えると、人事や財政、企画等の庁内エリートと思われている部局の権限が無くなることで、庁内に於ける部局の上下関係枠が撤廃されて、庁内の風通しが良くなることで職員の意識改革に繋がって行く。
所謂、庁内既得権域の削除・撤廃の制度でもある。

最後に、行政改革とは既得権域の撤廃である。
ならば、庁内既得権域の大きな部局の権限を削除することが、行政改革に繋がることになる。


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2008年09月17日

適材適所の人事

行政のみならず民間企業に於いても同じだと思いますが
口では適材適所の人事異動と言っているものの
その実態は適材適所とはほど遠いものとなっている。

その顕著な事象が

今の人事は『横の移動』のみを基本としていて
定例的な『縦の移動』を考えていない
ところにある。

所謂、一度管理職になってしまえば管理職から下がることが無い。
これを前提にした現人事異動からは、
組織の活性化とか行政改革などあろうはずなど無い。

今後は、
管理職への登用も例えば3年を区切りにし、
それを過ぎれば一般職員に戻す
ようにすることで、
適材適所の人事異動が可能となる。


今言われている適材適所の人事異動とは所詮茶番劇であり
既得権温存型社会の典型的なシステムといえなくは無い。
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2008年04月14日

オリンピックと政治

 中国チベット弾圧問題から、イギリスを始めとした西欧諸国が北京オリンピック開会式への不参加を表明している。これに多くのスポーツコメンテーター等は、声高々にスポーツへの政治不介入を訴えている。

 しかし、それらの発言は余りにも観念的であり説得力に欠ける。と言うのも、オリンピクがおかれた状況を客観視すれば、
オリンピックと政治とが切っても切り離せないことは、容易に判断が付く。

 最も具体的な例を挙げるなら、オリンピック招致から始まり招致決定後の施設整備、更には運営等々に多くの公的資金が投入されている。それだけでは無い、遡ればスポーツ選手の育成、それに伴う国内スポーツ基盤の整備など挙げれば限が無い。

 もし、コメンテーター諸子が、
スポーツへの政治不介入を口にするなら、先ずオリンピックを支えている財源の公的資金からの脱却を唱えるべきあり、それが儘ならない現状では、身勝手ないいぐさにしか聞こえてこない、と感じるのは私だけはない様な気がする。
 翻るに、オリンピックと政治とがこれだけ密接不可分な状況であることに、今の社会の構造的問題と違和感を感じる。そして、近年のスポーツ熱へのエネルギーが悪用されないことを願わざるを得ない。
posted by kappa at 02:28 | TrackBack(0) | まちかどコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月23日

恒例化した人事異動

この時期は、自治体の人事異動が新聞紙上を賑わしていますが、例年の恒例行事化した人事異動を繰り返すよりも、人事制度改革に手をつける事の方が、急務かつ不可欠ではないのでしょうか…。
夕張市の例を見るまでも無く、明日は我が身の自治体も多いはずです。

自治体の首長さん!
これまでの延長線上にある人事制度と人事異動からは、疲弊した地方自治体を救う道は無いと心得ておくべきです。
そして、これまでに類を見ない人事制度改革の断行こそが、改革への第一歩であると、断言できます。


例えば、役目が終われば下がることを前提にした目的型昇格・昇任制度もその一つです。
posted by kappa at 10:09 | TrackBack(0) | 行政改革 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする